Date 2010/12/9 18:30-20:00   Place 仙台市市民活動サポートセンター  参加者12名

「社会貢献」を仕事にする人たちが増えています。

公共サービスを支える非営利組織やボランティア団体の役割が増す一方で、それを「シゴト」とする人たちは、夢ややりがいとともに、様々な悩みや問題も抱えています。

 

Works×Talks」1回目は、途上国での開発援助、国際協力機関での仕事、教育関係のNPOなど、様々な経験をしてきたゲストと共に、社会貢献、市民活動を「シゴト」にすることを考えました。

 


GUEST: マツムラ マリコ (NPO職員)

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神奈川県出身。

大学卒業後、青年海外協力隊として南米ボリビアへ。

帰国後、仙台で市民活動の世界へ。この業界の課題に直面し、

働くことを諦めかけるも様々な縁で今もNPOワーカーとして夢を追う32歳。

 

HOST: ホリノ マサヒロ(Works×Talks Project)

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仙台市出身。団体職員。NPO/NGO職員の経験もある35歳。

高校卒業後、ニュージーランド~東京~アメリカで暮らし、仙台に戻る。 

現在は人事労務の仕事で、他人の人生を垣間見てヘビーな気持ちになる毎日。

 

 

 

 

 

マツムラさんの話を聞き、参加者たちも市民活動が道楽か否かを考えた
マツムラさんの話を聞き、参加者たちも市民活動が道楽か否かを考えた

「市民活動」は決して「道楽」ではない!

 Session1のゲストはNPOワーカーのマツムラマリコさん。

 今回は「市民活動は『道楽』か?」というテーマでマツムラさんのこれまでの歩みにフォーカスをあてつつ、テーマに切り込んでいきました。

 

 

日本は「選択」が許される社会

 マツムラさんは大学卒業後、国際協力活動のために中南米に渡る。そこで感じたことは、教育の大切さだった。「日本社会は自分の努力次第である程度は夢を実現できる可能性がある社会。私が赴任した社会では、例えば子どもが『パイロットになりたい』という夢を抱いて努力したとしても、その子の努力だけでは決して夢をかなえることができない差別や格差が現在でも根強くありました。」

 Session0でも「そもそも、金か、やりがいかを選択できる人は恵まれている。そんなことを考える余裕もない人だって、たくさんいる」といった意見があったが、少なくても今の日本は自分の夢を求め、自分の価値観に従い、自分の進路を選択し、その目標に向かって努力することが許される社会だと言えるのではないだろうか。

 彼女は中南米での経験から、教育こそが人の可能性を拓くのだと痛感。その後も教育に強い関心を抱き続けていくことになった。

 

「あなたにとってシゴトとは?」の問いに、「くいぶちかせぎと(社会の中での)役割発見」と答えるマツムラさん
「あなたにとってシゴトとは?」の問いに、「くいぶちかせぎと(社会の中での)役割発見」と答えるマツムラさん

市民活動でも基本は「経営」

 マツムラさんは帰国後に公益法人での勤務を経て、キャリア教育支援団体の事務局として本格的に市民活動に参画する。そこで彼女が痛感したのが、「経営」の視点の重要性だった。企業や公益法人でのトップダウンの意思決定プロセスとは異なり、市民団体ではスタッフの合意形成プロセスが非常に重要視される。彼女は企業等との協働を図りながら、団体内で合意形成プロセスを尊重することの難しさを感じた。

 

 一方で、団体の継続のためには運営に必要な資金を獲得して行く必要があるが、「サービス」の受け手である教室や子どもたちに、運営の資金源となるほどの対価を求めることは難しい。「つまり、理念にそった活動をしながら、安定した資金を得る方法が分からなかった」と振り返る。そのため、彼女は本来の学校における活動とは別に、助成金の獲得等の方策を探した。「結局助成金頼みになり、その「麻薬」から抜け出せない苦しい経営で、最終的には自分自身の生活が逼迫して、私は脱落してしまったんですね。今は、私が抜けた後も活動を続けてくれようとしている人がいて、そうした助けと失敗の悔しい思いをどうにかしたいという気持ちがあって、なんとか前に進むことができています。」

 こうして彼女はこうして団体の事務局を辞し、次のステップに移ることになるのだが、まさに経営の難しさを痛感した日々だった。

 

市民活動は「道楽」ではない

 彼女は現在、他の市民活動団体でのスタッフとして教育分野での活動を続けている。彼女がこれまでも一貫して考え、現在特に重視していることは「セルフ・マネジメント」の視点だと言う。これからの自分の可能性を拓くために、自分の足りないところを補っていくことも考えたいと自己分析しつつ、彼女は走り続けている。

 マツムラマリコさんのお話で印象的だったのは、彼女はさまざまな組織で試行錯誤を続けながら、どこか客観的な視点で、社会と向き合っているところ。社会と向き合い、距離を確かめながら活動する様子は、プロフェッショナルそのものではないだろうか。

 

 「市民活動」と言うと、「趣味の延長でやっているのではないか」「しょせん、アマチュアのすることだろう」といった見方が現在の日本社会ではどうしても拭うことができないのが実情だ。事実、「趣味」や「道楽」として活動する人もいるだろうし、それ自体否定されるものではないようにも思える。しかし、「プロの仕事」として考えるのであれば、企業であろうと、公益法人であろうと、そして市民活動であろうと、区別することに意味はないはずだ。

 

 つい最近、「楽しいだけでやっているうちはプロではない。苦しさを味わってこそプロ」という言葉を見かけたが、その通りなのかもしれない。

 あなたにとっての「仕事」は、果たしてどうだろう?

 

 

 ――今回の参加者は12人。Session0に続いてご参加くださった方もいらっしゃれば、今回初めてご参加くださった方もいらっしゃいました。年の瀬も迫った時期での開催にもかかわらず、ご参加くださったみなさまに改めてお礼申し上げます。(K)

 

 

~参加者からの声~

今回はSession中に、「市民活動は道楽か?」と言う問いに、YES/NOの二択で答えてもらいました。

 

NO:「市民活動は道楽ではない」

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■「これは大事にしたい」ということは、していくべき。生きてる実感、自分の命を生きてるという 

感覚を持って生きるため。※ただし、生活できない現実に対して、他の仕事も併せ持つ柔軟さや選択の仕方、は必要だろう。条件を整えていく努力が、「大事」を続ける・追求する道では。

 

■「道楽か?」の問いの反語は「仕事か?」だと思うが、市民活動の目標が自らの目標であるならば、それは道楽とは言えない。「仕事」と「職業」を定義すれば、「仕事」は目標であり、「職業」は手段と言えよう。無償の仕事はありうるが、無償の職業はありえないから。

 

■なくなったら、代わりにやる人がいない。そして困る人が出てくる。国でやってくれればいいですけどね・・・。

 

■道楽、って言葉の意味がよくわからないけど、なんだか違うのではないかと思う。つらい事、楽しいこともあって道楽なのかなって思うけど、道楽って言葉は自分を謙遜している言い方に思えて、なんだか・・・。

 

■この仕事をする前は、YESと思っていましたが、マツムラさんのおっしゃる様に、自分の中に余裕がないと、誰かを支援するという気持ちがなかなか生まれてこないと思います。どちらか選ばないといけないのでNOにしましたが、バランスを取るのが難しいと思う。

 

■必要とする人がいるから、必要な事業である。

 

 

YES:「市民活動は道楽である」

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■はじめは道楽から・・・。給料もろくに出ない仕事、持ち出しばかりの仕事は楽しくなければやっていけない。仕事との両立なんて無理!道楽が本気になれば、自分にあったものだと判断できるのでは。楽しくなければ、時間も金も使いたくない。本気になれば本物だよね。

 

■道楽。大いに結構。ビジネスオンリーの世界で煮詰まっているんだから。ビジネス界と摩擦を起こさなければ、存在意義がない。営利「だけ」で世の中成り立つなら、例えば、なぜアメリカで「AA」が誕生し存続しているのか。
(※AA:Alcoholics Anonymous/アルコホーリクス・アノニマス。世界に広がった飲酒問題を解決したいと願う相互援助の集まり)

 

■経済と言う軸では、決して道楽とは言えないが、「いきがい」という点ではボランティア(自発性)は、やはり究極の道楽である。
 

 

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